10年前の幾谷正氏が発したアンチ二次創作的発言。当時は耳が痛いと思いながらもなるほどなるほどと聞き入っていた一人のサブカル末席人だが、今ふと読み返すとどうだろう。昨今の情勢を、ものすごく先取りした発言なのではと思ったりしたものである。
個人的に生成系AIに関しては、電子制御の包丁だと思っているので、害を与えない程度に普及したので良いんじゃないの、と正直考えている。が、どうも害があると主張する人もいるのと、左派文化人の末席にいるのもあり、少なくとも現状の普及は性急すぎる、十分な規制を敷いた上で発達すべきというのが、現状の自身の立場である。
そんな中、最近は粗製濫造の生成品が、ことXやPixivでは多く目に付く。特に流行りのゲームやアニメの女の子を陵辱するような生成品が散見されるようになり、生成系AI普及以前よりもキャラクターへの愛を感じさせない、雑なポルノが見られるようになった、というのが私の印象である。
生成系AI以前も正直辟易していたが、これも「受忍限度」なのだろうかと、正直「誤った」認識でいたところに、幾谷氏の一連の発言で「なるほど」と一つの気付きを得たものである。が、当時は結局心の奥底にしまい込み、気がつけば幾谷氏も見かけなくなり、私もいくつかのSNSアカウントを消去して観測しなくなってしまった。
そんな中、生成系AIで「観る側」としても不快を感じる事が多くなってきたのだが、そこで急に思い出したのが、幾谷氏の二次創作についての発言である。
当時は、「なるほど、そういう視点もあって、注意するべきだ」と思っていただけなのだが、今の状況を見れば、幾谷氏は「何も間違っていなかった」とさえ思えるようになったものである。
生成系AIによって、二次創作のマネタイズの悪影響が(作品やそのファンのイメージ低下を含めて)一気に顕在化(単に見て見ぬふりできなくなっただけ)し、幾谷氏の唱えた理論の正当性がはっきりと見えてしまったのである。生成系AIと云う奔流が生じて初めて二次創作の害を理解した私の非才を恥じている。
生成系AIと、その生成物の奔流に不快を感じる者、すぐに幾谷氏のお問い合わせ路線を踏襲するが良い。公式が拒否すればその作品は公開できなくなるのである。今すぐに、「作品のイメージを損なう」AI生成ポルノを公式に報告し、二度と発表させないようにしてやるのだ。