筆冩近衞言行不一致録

雑感をある程度毒抜きされた戯言にして吐き出す。

本当に欲しいのは?

彼女が欲しい、それホント?

彼女が欲しいと言う人がいるが、ぼくは本当にそうなのだろうかと思っている。

彼女がいる、彼氏がいると云うのは、つまるところは誰かと恋愛関係にあると云う事なのである。お互いに好意があって付き合っているから、彼女がいる、彼氏がいると云う事なのである。

お互いに惹かれるところがあって、それで付き合うのが道理であるにかかわらず、その部分をはっきりさせぬまま、単に彼女が欲しいと言う男性諸君をよく見るのである。

 

ぼくが思うに

彼女が欲しいと云うのは、道理に沿うならば、どんな女の子と付き合いたいかが決まっていて、そんな女の子に出会えてない、と云う事なのだと解釈する。しかしながら、それを問い質してみると、どうやらその「どんな」がわからない人を多くみる。

そして、彼女がいない事をコンプレックスに思っている節があるようで、やたらと彼女がいない事でどうなってるかを説明してくるのである。本当に彼女のいるいないでそこが変化するのを考えることもなく。

そこで、愚見ながら彼女が欲しい理由を想像すると、「彼女がいる」と云うステータスが欲しいのであろうと。それで自分の評価が変わるのであるとも考えているのではないかとも。

 

ステータス

 なんでこんなことにステータスを感じるのかよくわからないのですが、とにかく「彼女がいる」ことを一種のステータスとしたがる男性諸君の多いこと多いこと。

ぼくの狭い了見でで考えたところ、出てきたのは、「異性に認められる魅力がある=オスとして優れている」という思考である。モテたい人達は、きっと「優れたオス」でありたいし、それを示すためにモテたいでではなかろうかと。

女性のモノ化

MGTOW(我が道を行く人)であるぼくは、一つ大切にしていることがあるわけです。人をできるだけ、一人の人間として扱う、出来ないときは無理に近寄らない。

ぼくは女性が苦手なので、基本的に近寄らない、事務的に必要なことを話して伝えてもらったら終わり、な関係でやっております。何も不便はありませんし、現実の女性のことを考えなくて良い生活はとても快適です。
むやみやたらと相手の感情を害することもなく、害されることもない。ぼくが出来る精一杯の思いやりが、これだと思っております。

ステータスとして彼女を得る、そんなの以ての外です。それは単なるトロフィーワイフであり、女性のモノ化に他なりません。MGTOWかつフェミニズム支持(表現の自由への干渉を除く)のぼくとしては、こんなことはあってはならないとさえ思っております。

 

彼女が欲しい、それホント?

 本当にあなたは特定の女性と心から付き合いたいのでしょうか。ステータスが欲しくて、そっちがメインとかそういうモノではないのでしょうか。よくよく考えてください。